学生時代に江戸文化に思いっきりはまってしまった私は、寝ても覚めても「江戸…」という呆けたような時期がありました。「江戸」と一口に言っても、たぶんイメージするものは人それぞれだと思います。水戸黄門とか暴れん坊将軍なんかの時代劇を思い出す人もいるでしょうし、池波正太郎や藤沢周平の小説を連想する人もいるでしょうし、人によって千差万別でしょう。だけど「江戸」と言って私が想像する世界は、為永春水が描くような世界。今だったら…、そう、ちょうど杉浦日向子さんの描く漫画のような世界。笑いがあって、色っぽくて、力強くて、でもサラッとしていて。つまり、「いき」な世界です。
そんな杉浦日向子さんの作品の中でも、一番のお気に入りが『麻衣(あさぎぬ)』。『二つ枕』という作品集の中に入っている、本当に数ページしかない短い一編。何と言いますか、ひとつの詩を読んでいるような、いえいえ、清元か小唄の歌詞を読んでいるような、そんな風情を感じさせてくれる名作なのです。
舞台は、江戸時代の遊郭・吉原。吉原の花魁(おいらん)麻衣と、彼女に惚れて金をつぎこみ親から勘当されてしまった男の、ある夏の一夜を描いています。男は親から勘当されて信濃へ行かねばならず、その夜が最後の逢瀬。男に惹かれつつも、自分が花魁(おいらん)という自由のきかない身の上だということを百も承知の麻衣は、それをどうすることもできないと知っています。そんな彼女の「諦め」が、身に沁みるような繊細な筆致で描かれています。
最後の場面で、麻衣が、いつのまにか寝入ってしまった男の頭の下に枕を入れてやりながら、男のほつれ毛をすくい上げ、耳たぶをじっと見つめるさまは、もう心にグッと沁み入りますね〜。勢いはいいけど結局は女のことなんかどうでもよくて、そのうえ自分自身にもあまり関心がなくて、どこか子どもみたいな、そんな男の人を自分のものにすることなんて、永遠に無理なわけです。たとえ身分が花魁じゃなかったとしても。だからこの物語の麻衣も、男と駆け落ちしようとか、見請けしてもらおうとか、そういうことも一切考えません。そうしたって、おそらく同じことですから。そんな、色っぽくて、笑いもあって、啖呵も切る、だけど通奏低音のように「諦め」が漂っている。そういう「いき」な瞬間がこの麻衣のしぐさに込められている、そう思いました。
そういえば、「いき」という概念をていねいに分析し、定義した名著『「いき」の構造』には、「<諦め>を得た<媚態>が<意気地>の自由に生きるのが<いき>である」という記述があります。「いき」って切ないのですね…。媚びたり抗ったりしつつ、でも心の底では諦めねばならないのですよ…。でも「諦め」って、生きる上では必要なこともあるのです。年とともに私も少しずつ理解できるようになりました。そんな、「いき」な領域に入りつつある方、ぜひ本書を読んで「いき」な人生を模索しましょう!
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