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| 2003/9/18 |
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『時計坂の家』
著 者:高楼方子/千葉史子 出版社:リブリオ出版
発行日:1992年10月 本体価格:2,000円
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ひそかに憧れている人からいただいた手紙(メールでもかまわないけれど)に返事を書こうとして、すっかり舞い上がってしまい、もらった倍以上の量の文章を書き綴り、後から恥ずかしくなってしまうようなこと。きっと、返事を受け取ったあの人は気にも留めないのだろうけれど、なんとも思われないがゆえに、自分の思惑が恥ずかしくなり、じたばたとのたうちまわってしまう。実に、消耗するパターンです。とはいえ、気恥ずかしいものの、誰かへの憧憬の念や、思慕を寄せる心の震えや、戸惑いみたいなものは、ちょっとした人生の輝きの瞬間ではないかと、感受性が摩滅しつつある昨今、思ってしまうのです。自分にはなにもなく、あの人はすべてを持っている。本当は、そんなことはないのだけれど、自分にはない何かに、強く惹かれ、憧れてしまう。「想い」の強さによって見えてくる人や世界は、美しくも手の届かない不思議な輝きをもっているように思います。誰かに憧れられるのではなく、絶えず憧れる側にいる人間の心のありように、限りなくシンパシーを抱かれる方に、そうした気持ちの結晶のようなこの作品をお勧めしたいと思います。
夏休み、両親から離れて一人、祖父の暮らす「汀館」の家に泊まりにいくことになったフー子。彼女は、この古い家で不思議な階段を見つけます。階段の先には古い懐中時計が架けられた窓つきのドアがあるのですが、その向こうに部屋はありません。かつてはベランダがあったものの、今は取り壊されているため、ただ中空につながるだけのドア。窓の外には裏の家が見える、と思いきや、突然に「もうひとつの世界」への入り口が開きます。フー子の目に、一瞬、広大な「緑の園」が映り、消えていきます。フー子の母が幼い頃に亡くなったと聞かされていた祖母も、かつてこのドアの向こうの世界に消えてしまったのではないか・・・。フー子は「緑の園」と祖母の失踪の謎を追って、この街の古い記憶をたどり始めます。時計館、ロシア人の時計師、マトリョーシカ、魔術師の夢、ジプシーの娘たち。めくるめくメタファーに幻惑されながら、やがて迷い込む「緑の園」の、この世ならぬ魅力にフー子は心を奪われていきます。現実の自分に自信がなく、なにかにいつも心をひきよせられてしまうフー子。「緑の園」への強い憧れを持ちながらも、この庭園が求めている主人は「自分ではない」という諦念。不器用なフー子が、憧れの従姉妹であるマリカと仲良くなりたいのに気持ちをうまく伝えられないもどかしさや、あまり慣れていない祖父との距離感など、十二歳、という年頃の微妙な心模様が繊細に描かれます。異世界を描いたファンタジーとしての物語の面白さもさることながら、豊かな感受性に揺れる心を捉えた秀逸な児童文学として楽しめる作品です。
ここではないどこかの「もうひとつの庭」を描いたビルディングロマンは、枚挙にいとまがないほどですが、この作品で描かれる異世界が、どこか死の匂いを漂わせているところに、松谷みよ子さんや、安房直子さんが描かれる世界に近いものを感じています。美しく幻想的でありながら、深淵な闇の底につながっている世界。蟲惑的な死の誘惑にも似た、恐ろしくも、どうしても惹きつけられてしまう場所。全篇を彩る漆黒のイラストの魅力もあいまって、心の中にもうひとつの世界のイメージが結ばれます。この「緑の園」が求めていた「主人」はいったい誰であったのか。果たして、フー子は再びこの世界から戻ってこられるのか。人間のちいさな心の世界が、広大な幻想の異世界と対峙する、そんな魅力あふれる、情緒豊かな瑞々しい物語です。いろいろなことに無関心になっていくこのごろの私は、何かに強く惹かれ、思いをかけることができる純粋な心性を眩しく思うようになっています。今回、再読してみて、十年前にこの本を読んだ時より、随分と、感受性が衰えていることを実感してしまいました。いえ、憧れはあるのです。つい先日、個人の方が運営されている読書サイトを拝見していたところ、この本について書かれた感想文に出会いました。私がずっと気になっていた言葉が引用されていて、また俄かに気持ちが惹きつけられる文章であったため、自分も、ふいに、この本について何か書いてみたくなりました。まだそんな気持ちが残っているのは驚きです。毎度、不出来な文章しか書けませんが、一心に思い入れのある本について語ってみたい、そんなことを思って書いてみました(あまり変わりばえしませんね)。 |
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【楽天ブックススタッフ 知】 |
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