『テロルの決算』とか『深夜特急』という有名作を読まずして、沢木耕太郎を語るなんてとってもおこがましいことだと思っていました。じゃあその2作を早く読めばいいじゃないかと我ながら思いはするのですが『深夜特急』が多巻ものなのでついつい手を出せず…ぶつぶつ。。。そんなわけなので、初めて読んだ沢木耕太郎(の、それも小説)作品です。
私小説の形式で話が進みます。オビにある“私のズボンにはいつもナイフが入れてあった。”という文字。“中学三年の冬、私は人を殺した。”という衝撃的な冒頭。ふと頭をよぎるのが「最近のキレる若者たち」というキーワードです。しかし物語がそういう社会現象とリンクするものでないことは作家自らが「この小説は15年前に書き始められ…」と後記で述べていることからも明らかです。人を殺した本当の意味とか、象徴的に使われている「あそこ」という場所がどこなのかとか、読み終わった後ももやもやした気持ちが残りました。「キレた」少年が殺人を犯したような話を読むと、怒りや憤りに近い感情に覆われるのですが、今回はそれもあまり感じなかったし。なんだろうなぁ不思議な感じ。
もしかしたら、大人になればなるほど、心境を無理矢理にでも言葉(キーワード)にしてしまう技術が身に付いていくのかもしれません。そして「私」は中学生だったから、その技術を持たずに言葉に出来ない思いを抱えて鬱屈していったのかもしれません。さらには、ずーっと時間が経ってから回顧しているという視点で書いているからこそ、書けた小説だったのかもしれません。最近児童文学系の作家さん達の活躍が目立っていて、中高生が主人公になったこういった「少年・少女の頃の特有の心境を描く」みたいな小説を良く読みます。ここのところのそういう小説と比べると随分哲学的に悩んでいる気がするのは私だけでしょうか?やっぱり他のノンフィクションとかエッセイを読んでみないと沢木さんの描きたかったことは理解できない気がしてきました…とりあえず、余韻にじっくり浸ってみたいと思います。
余談になりますが、この本で使われているフォントのひらがながとても気に入りました。じっくり一字一字を噛みしめたくなるようなゆったりした字間を演出してくれている気がします。滅多にそういうことを考えたことがなかったんですけど、新潮文庫ってみんな同じフォントなのかしら? |