「好き」。そう言ったことがありました。そういえば。中学生のとき。いや、正確には、「言った」んじゃなくて、友達に伝えてもらっただけでした。結果は言うまでもなく、玉砕して散ってしまったのですが、受け取った返事の中に「それでどうしたい?」みたいな言葉が含まれていたのを覚えています。たしかに、「つき合ってください」ならば、YesかNoかを求めていますが、「好き」という宣言だけなら、「あ、そ。ありがと。じゃ、また明日」みたいに、ありがたくお気持ちを頂戴しておしまいという会話も、理屈上は成り立つわけです。思い返せば、少女マンガでは、「好き」って告白するだけで、「僕も前から好きだったよ」とか「ごめん、ほかに好きな人がいるんだ」とか、ちゃんと答えを教えてくれていたので、そこから誤った観念を刷り込まれていたのかもしれません。
そんなあたり前のことにやっと気付いたわけですが、その後今に至るまで、学習したとは言いがたいものがあります。それにしても、どうして「好き」と伝えたくなるのでしょう。「答えがほしいわけじゃないの。ただ伝えたい。でも言えない」「答えはいらない。ただ、伝えたい」(収録作『好き』より)。「好き」と伝えることが、「好きです。つき合ってください」の省略形ではなくて、ただ伝えたいという気持ちがなぜか湧き起こってきて、止められないのです。さらにもう一つ、「好き」と言うことに、なんでためらいがあるのでしょう。「わたし、みかんが大好きなんです」と言うみたいに、「あなたが大好きなんです」とどうして言えないんでしょう。
やっぱり、「好き」の中の、YesかNoを問いたい含みがぬぐい切れず、Noが怖いからなんでしょうか。でも、「あなたが大好きです」と伝えることで、「あなたを好きだと思っている人がここにいます」「あなたはわたしに認められている存在なんです」ということが相手に届けられるなら、そう素直に伝えることで、自分の大好きな人の心の中に、ぽっとちょっとだけ何か灯すことができれば、こんな幸せなことはありません。それに、大好きな人とは、一緒にうれしいと思ったり悲しいと思ったりしたいから、「好き」という自分のいちばん大切なほわほわの感情を伝えたくなるのは、当たり前過ぎることに思えます。
今まで読んだこの人の小説は、どこか気だるさを感じさせる主人公が登場して、気持ちが沈んでしまったのですが、この本では、4作の後ろにいくほど前向きな感じで、元気が出てきました。歩幅を合わせて並んで歩くだけでどきどきしているような、そんな「好き」を思い出してみてください。 |