| <<前日の日記へ | 翌日の日記へ>> |
| 2002/2/12 |
 |
『薔薇の花の下』
著 者:狗飼恭子 出版社:幻冬舎
発行日:2002年01月 本体価格:1,400円
|
薔薇の花のきれいな装丁にひかれて手にしました。それと、帯に書いてあった言葉「恋人が自分以外の誰かのものになるのが嫌なので、死んでくれたらいい、と思ったことが、ある」。私だったら、死んでくれと思うよりは、私が死ぬほうを選ぶかも、なんて思いながら読み始めました。
内容は、別にそういう死ぬとかどうとか激しくはなく、読み終わって思い浮かんだのは、「ふわふわした」という言葉でした。26歳の「恋愛小説家」の今日子が心の内を語っていくのですが、「したいこととできることは別」と割り切り、夢を持つことを信じていないような、でも、「夢がないっていけないことなんだろうか」と自問したり、自分が何が欲しいかわからないで、さまよっている毎日。恋人もいるけれど、淡々とした生活に見えます。そういう自分を客観的にながめている自分もまた今日子の中にいて、それは、「恋愛小説家」として、「書くべき言葉」を求めているからなのでしょう。幸せになり過ぎると書けなくなるからといって、そのために恋人と別れたりもするし、今日子はそれを小説家という病気だと言います。醒めた意識で、ぼんやりと遠くを見ながら生きているようなところを「ふわふわ」と私が感じたのだと思います。
夢を持ってそれに全力で向かっているのは美しいことです。そりゃもちろん。でも、夢を持つって何だろう、それでどうなるんだろう、ってふと思うこともあるし、だから今日子にどこか共感したのかもしれません。恋愛というのは、その点、心を傾けるには恰好の対象です。誰か好きになった人と心を通わせ合うことは、夢と言えるかどうかわからないけれど、それくらい没頭しがいのあることだから。私の夢は、「夢をかなえたときに、自分のことのように一緒に喜んでくれる愛する人といること」なーんて言ってみたくなったりして。肝心のかなえたい夢があとづけになっていますが、かなえた喜びを分かち合えてこその夢だという気もするし。
今日子は、「書く」ためには不幸にさえなりたがり、、自分を切り売りするかのような恋愛をしているわけですが、そうして書いた自分の小説の完成を誰と一緒に喜ぶのでしょう。「誰かを愛することをとても上手にできる」という今日子なのに。さらっと読み終えたわりに、あとからじわじわといろいろ考え込んでしまった一冊でした。
|
|
【楽天スタッフ 笑】 |
|