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| 2002/11/25 |
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『私たちがやったこと』
著 者:レベッカ・ブラウン/柴田元幸 出版社:マガジンハウス
発行日:2002年09月 本体価格:1,600円
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一体、あなたは私のことをどう思っているのでしょうか。関係のあいまいさを言葉にする。言葉にした途端、新たな局面が始まってしまう。はっきりさせないこともひとつの処世術なのか。なんとなく認識している。そしてお互いに了解している。日常は、静かに進行して、たわいのない会話の中に、ふいに真実が垣間見えたり、それも気のせいと思われて通り過ぎていくもの。とはいえ、焦がれるように「言葉」を求めてしまうこともある。あいまいさに終止符を打つ「真実」が欲しいのか。それは、かなり切羽つまった状況に違いなく、まま気詰りな展開が予想されます。
だから、『僕がいなくなったら寂しいかい?』なんてストレートな問いかけをされた時、本当にどうしたら良いのだろうと、思うのです。しかも相手は、死を目前に控えている。こんなことを言わなくてはならないほど気持ちが追いつめられていたのかと思うと、相当に痛ましい。レベッカ・ブラウンの『体の贈り物』は、エイズ患者と、その介護をするホームケアワーカーの、静かな時間を描いた連作短編集でした。感傷的な装飾のない平明な文章で、ごく日常的な会話を映し、この物語の中での事実以外のことは描かれていない。死期が迫る人間と、その身近にいる人間、この両者の関係の「真実」は、言葉に表されなくとも類推可能で、読者の心中に共鳴を響かせ続けます。『言葉の贈り物』という一篇の中で、ケアワーカーの「私」は、病状の進む患者から上述のように問いかけられ、なにも答えることができなくなります。沈黙もまた、雄弁な回答かと思うのですが、言葉を贈ることで救われることもあったのか。「言葉」は必ずしも「真実」である必要はない?。人が人に出来ることってなんなのだろう、と無力感を感じていた時に読んだもので、この場面は深く胸に刻まれています。
本書『私たちがやったこと』は、『体の贈り物』に続く、柴田元幸訳による短編集。『体の贈り物』で感じられたものを、この作品集に探し求めて読み進むと、ちょっと迷子になってしまうのではないか、と思います。とらえどころのない幻想的な味わいの作品が多いのですが、『よき友』という一篇は、かなりストレートに感じられる物語でした。友人のジムから、身体の不調を訴える連絡を受けた「私」は、彼の(おそらくエイズの合併症の)発症を知る。それからの時間、ジムはどんどんと病み衰えていき、「私」は、なすすべもなく見守るだけ。冗談めかしたジムの言葉の数々。回復の見込みのない病気に自棄になりながら、言葉を撒き散らしていく。「私」も感染への不安を隠せないまま、ジムに寄り添い、言葉を交しつづける。「おはなし」をして欲しいとジムは言う。「真実」に希望がない時、いったいどんな「言葉」を贈ったら良いのだろう。それぞれが同性愛者である男女の友愛が、純粋で美しく、結末は悲しいものではあるのだけれど、胸に灯ります。『真夜中のカウボーイ』という古い映画が好きだったのですが、ちょっと、思い出しました。家族や恋人ではなく、「友達」を看取るということ、そして最後まで見捨てずに一緒にいるということ。『体の贈り物』にも通じる素材でありながら、この作品の持つ魅力は、少し別のところにあるような気がします。幸福な結末などありえないことは同じなのだけれど、事実ではない「おはなし」の中で、ジムの痛みはやわらいだのか。真実の「友達」のために捧げられる、祈りにも似たラストシーンには強く感銘を受けます。
未読ですが、レベッカ・ブラウンの最新刊となる『家庭の医学』は、作者自身が、お母さんのガン闘病を介護した際の話だと聞いています。果たしてどんな世界を見せてくれるのか、どんな思いを抱かせてくれるのか。ここのところ、気持ちが少し弱っているので、覚悟は必要なようです。 |
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【楽天ブックススタッフ 知】 |
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