じぶん達のことを誇らしく「花の24年組」と呼び習わすかの人たちの漫画はとてもすきです。萩尾望都・竹宮恵子とじゅんぐりに読み漁ってきましたが、大島弓子にめざめてしまったのは実は最近でした。読むたび読むたび思います。嗚漫画というのは総合芸術なのです。絵柄だけでもなく、台詞だけでもなく、コマ割だけでもなく。画面ひとつでなんとおいしい、いえいとおしいことなのでしょうか。読むたび読むたび、拳を握り締めグーで寝台を叩きながら、感じ入るのです。力が入りすぎてもうパーでは感動を表せないのです。おおきすぎる感動というのは、まこと荒ぶるものです。
大島弓子いっぱいの画面がとてもきもちよいです。瞳のなかにこごる丸ペンのかすれがすれた線、さくりとひらけたコマ割に散文的なネーム、見ひらきいっぱいに広がる林。ああもうそのタッチが、いとおしい。これこれ!この線なのよう!とかじりつきそうに愛。最早「らしさ」のみで愛することができるのです。作者にとってはわるい読み手ですね。
『さようなら女達』は表題作をはじめとする、短編集です。そうして「おわかれ」がたくさん出てくる御本なのです。著者はよく最後に「おわかれ」するものを描くのだけれども、これを「ハッピーエンドじゃなけれあ嫌ーなの!」という現代っこ達に強く薦めたいです。だって、「おわかれはくせになるのよ。」「おわかれ」という展開こそがいのちなわけじゃないです。でもおわかれって大事なのです。只最後のオチにすぎないのに、それ以上でもそれ以下でもないのに、ないとものかたりが立ち行かないもの。しあわせに、或いは曖昧に流れていくラストにきちりと嵌る、おわかれなしにはありえないという完全無欠さを味わってほしいものです。「おわかれの快楽。」ただ、ラストにすぎないのです。でもそれはラストなのであって、つまりとっても重要なものなのです。大いなる矛盾をあいします。だいすき。作品は部分がよりあつまって全体なのです!と胸を張って言ってみる、そんなあたりまえのことを実感してほしいのです。感覚のみに生きています。巡り愛。
そしてまた。ただただ、少女そのものなのですよ。教師への淡い恋、漫画家への強い憧憬そして執着、………………つめこまれたテーマが飽和せずにふうわりと内包されている危ういバランス、ふつふつとあめが煮えるが如く名残惜しげに浮かんでは消える追想たち、たくさんのおわかれのことば。故意に煮詰めたことばたち。一読みしただけで大島弓子が愛しくて愛しくてならなくなっちゃっちゃうような作品集です。大事に今日も枕もとに置いて少しだけ読む。ああうかぶ。著者の字で「わーわー」という字がうかぶ。それっくらい好きになれるというのはいっそとても小気味よいことです。 |