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| 2001/2/8 |
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『永遠の仔(上)(下)』
著 者:天童荒太 出版社:幻冬舎
発行日:1999/03 本体価格:1,800円
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一昨年の話題作をようやく読了。動揺が収まらず、少し時間をおいてから書いています。心は動いても、言葉にすることが難しかったのです。5年後、10年後に読んだとしても、この感動は摩滅しないと思うのですが、主人公たちとあまり年齢が変わらない現時点で読めたことは大きかったようです。痛みを痛みとして感じることができるかどうか、読書に心の試金石としての効用があるとすれば、まだ鈍っていない自分自身の感受性に少しは安心できたか。いえ、そんな喜びはなく、登場人物たちが引き受けなければならなかった「受苦」の痛みを、一緒に感じざるを得ないギリギリの読書体験。しばらく打ちのめされていました。あえて古典的悲劇論をひくとして、この物語は「認知」による「逆転」が、どうにも痛ましすぎる。「再会」後の事件もまた、過酷な運命を精算するものとしては救いがない。とはいうものの、心に残ったものはあまりにも大きい。秀逸なミステリーであり、抜群に面白いエンターテイメントとして楽しめた以上に、運命の悲劇を読んだ感動がありました。いつ読んでも遅くない。未読の方には是非読んで欲しい、とお願いしたい作品です。
情緒障害を抱える子どもたちの病棟。「動物」の通り名でお互いを呼びあう子どもたちは、それぞれに心の闇を抱えて、ここで寄宿生活を送っている。ジラフ、モウル、ルフィン。出会った二人の少年と一人の少女。親からの虐待。自分が傷を受けたことを「認める」ことさえできないほどの痛み。あらかじめ魂を殺された状態で、どうして生きることに希望が持てるのか。最も愛したい人間を、憎まなければならない。憎めないなら、自らを責めなければならない。自傷行為。破壊衝動。心を壊わすことでバランスを保ってきた三人。嵐の夜、互いの「受苦」を打ち明けることで結ばれた三つの魂は、救いようのない自らの生を救うためにひとつの試みを実行に移し、そして、別れ別れとなる。十七年の歳月を経て偶然再会した三人は、かつて共有した忌まわしい試みの記憶に縛られたまま暮していた。そして起こる「事件」。実に、無情です。
親による子どもの虐待のニュースを多く耳にする昨今です。某新聞でも、児童虐待についての連載レポートが始まり、陰鬱な気分になりながらも、目をそらしてはならない、という気持ちに衝き動かされ読んでいます。特異な個人の問題なのか、時代や社会に転嫁されるべき問題なのか、人間存在が内包する業なのか。自分の心の抱える不安定さ、弱さに通底するものはないか見極めたいのかも知れません。『永遠の仔』は、虐待を受けた子どもたちの心の問題について、小説の手法でアプローチしていきます。社会的テーマをミステリーに巧妙に反映させていく天童氏の手腕は、前作『家族狩り』(新潮社)でも感銘を受けたところで、本書には、かなりの期待を寄せていました。少々、出遅れている間に、作品は絶大な評価を受け、テレビドラマ化もされたようですが、いつか読む、その日のために、じっと我慢で耳を塞いでいました。なんとか、入魂の大作に対して失礼のないベストの状態で向かい合うことができました。読書の真剣勝負。無論、完敗です。重いテーマと対等に渡り合って、さらに運命劇としての圧倒的な存在感。主人公たちの心の軌跡をたどった今、救われなかった「生」について思いを馳せています。残されたものたちは生きる、生き続けて歳を負い、いつか過去の痛みと和解することができるのか。過酷な運命への復讐のような生を生き続けるのではなく、「なかったこと」にはできない過去を受け入れ、幸福な現在を生きる悦びを得られるのか。物語の余韻は、疑問符のまま心に浮かんでいます。充実した読書時間を得たカタルシスとともに。 |
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【楽天ブックススタッフ 知】 |
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